夏の終わりはいつも寂しい

今年の夏はずっと元気だった。けど今朝は珍しく憂鬱だった。昨日お風呂に入らないまま人の家で寝て、朝の8時か9時ごろに謎の後ろめたさに襲われて帰った。微妙に肌に残ったファンデーションの感触とおでこに貼りついた前髪が気持ち悪かった。死にたいよ〜と言いながら川端通りを自転車で走っていると、精華学園の体育館からバスケシューズの響く音が聞こえてきてさらに鬱になった。何も成し遂げていない日々の中でまぶしい中高生たちを見ると、言いようのない焦りと不安に襲われる。かといって爆走するトラックに突っ込む勇気も鴨川に身を投げる心意気もなく、何かしなければいけないと思ったけれど、連日の不摂生でお酒を飲む気分ではなかったので初めてタバコを買ってみた。どれが何なのか全然わからなかったけど、なんかピンクで可愛かったのでバージニアエスというやつにした。

そして気がついたらもう夜だった。

タンクトップ1枚だと肌寒いくらいの季節になったけど、京都ではまだ蝉が鳴いている。蝉と人間では時間の流れはどれくらい違うんだろうか。蝉って時間の感覚とかあるんだろうか。ふと、いつか訪れた植物園で出会った奇想天外という植物のことが頭によぎった。彼らはたった一対の葉を1000年かけて伸ばし続けるらしい。私は早よ死にてーとか安易にも思ったり、それを口に出してみたりするけれど、蝉にしてみれば贅沢な悩みなのだろうか。奇想天外からすれば、2年も70年もぜんぜん変わらないんだろうな。

ここまで書いて、憂鬱でタバコを買った朝のことをすっかり忘れていることに気づいた。今日はもう大丈夫だ。水を飲んで、歯磨きして寝ようと思う。