舐められないための努力

「いじめはいじめられる方にも責任がある」って20パーくらい正しいと思っている。これは、いじめられないような振る舞いをしなくてはいけないって意味ではない。もちろんいじめる側が悪い。でも、いじめられないような振る舞いというのは、存在すると思う。もっと言ったら、相手を大事にしつつ、かつ自分の格を下げないための振る舞い。

自分が適切に尊重されるかどうかって、半分は相手に、もう半分は自分にかかっていると思う。他人の機嫌を伺わず、気丈に構えていたらきっと舐められないんだろうな。ホストに嫌われないようにボトルをたくさん入れたり、浮気している旦那の愚痴をインターネットに書き込んだりしている人は、意図せず自分で苦しい状態を作っているんだと思う。例えば、あたしが人生で初めて付き合った彼氏は乃木坂オタクで、特に西野七瀬ちゃんが好きだった。付き合った当初は可愛い可愛いと言ってくれて、そんな経験なかったからすごく嬉しかったのを覚えている。でも徐々にあたしの性格や人間性を知った彼氏は可愛いと言わなくなって、あたしは焦った。YouTubeで乃木坂工事中を見て、なけなしのお小遣いで美容院に行って西野七瀬の写真を見せ、メイクを真似して、西野七瀬ちゃんがつけていると噂のカラコンを買った。彼氏にかわいいと言われることが当時の全てだったのだ。でも、あたしに必要だったのは小手先のメイクでもアコルデのデイリーベーシックブラウンでもなく、ただ自分なりに堂々とすることだった。 そもそも、そいつのあだ名は「ラグビーボール」で、お世辞にもハンサムではなく、人徳があるわけでもなかったが、話術と自信がすごくて常に彼女がいた。そいつのことを思い出すたびに「人間顔ではない」と実感する。

西野七瀬に近づこうと思えば思うほど、彼氏の心はあたしから離れていった。当時はその理由がずっと分かってなかったけど(分からなさすぎて、実は男が好きでそれを自分に言い出せないのではないかと思っていた)、大学生になってこれまでの自分を俯瞰してみたり、バイト先のバーとかで周りの人の様子を見たりするうちに、じわじわと気づいた。コミュニケーションには暗黙の作法があるんだと。恋愛でも友人でも家族でもそうだけど、親しい人でも境界線はちゃんと引かなければいけない。嫌なことは嫌だと言葉にしないと伝わらない。必要以上に下手に出たりオドオドしたりすると相手はすぐ調子に乗る。浮気心なんて3分あれば十分なのである。時々は相手に踏み込むことも大事だけど、距離を詰めすぎると疎まれる。でも蔑ろにしたら悲しませる。そこのバランスがうまい人が他人と良い関係を積み上げていけるんだろうな。

できる人や、気にしない人にとっては何てことないことかもしれないけど、あたしにはこれが時々すごく難しいことに思える。だからこそ、あたしのダメなとこ知ってもなお仲良くしてくれてる人らは変な人たちだなって思う。変人たち、ありがとうねー