Transit in Thailand

フランス行きの航空券を取った時から、帰りは寄り道すると決めていた。

中学生の頃に2週間ほど、タイのとある町でホームステイをしたことがあった。当時はタイ語はもちろん英語もほとんど話せなかったけど、私をホストしてくれたペワーちゃんというお姉さんとその家族がとにかく親切で、単純な私はタイという国が大好きになってしまった。大学生になったらお金を貯めて彼女に会いに行こうと決めていたけどコロナ禍でなかなか行けず、それならフランスから日本に戻る前に寄ればいいやん!ということで思い切ってホストファミリーに連絡してみたら二つ返事でうちにおいでと言ってくれて、一泊させてもらうことになった。

シャルルドゴール空港からバンコクまでのフライトはサウジアラビア航空。なぜか無料で広めの席にアップグレードできてラッキーだった。離陸するなり添乗員さんがアラビアンコーヒーorジュース?と聞いてきて、さすがお酒は出ないんだ〜と思いながらアラビアンコーヒーを頼んでみると、私の知っているコーヒーとは全く違う、初めて体験する味の液体だった。苦いような甘いような漢方薬のような。。。その正体を突き止めたくて匂いを嗅いでいたら隣の人に美味しい?と聞かれ、面白い味と答えると彼は満足そうに頷いた。その後に出てきた機内食も同じ匂いがしたから何かのスパイスなんだろう。5時間ほどの短いフライトだったけどCAさんがお茶やりんご、チョコレート、いい匂いのおしぼりなどをやたらと配りに来てくれてホスピタリティが高かった。

午後2時ごろ、スワンナプーム空港に降り立った瞬間にむわっとした熱気と湿度を感じて、すぐ半袖に着替えた。もうこの時点でフランスを去った寂しさはどこかに行ってしまって、早足で入国審査に向かった。

到着口を出るとペワーとそのお母さんが私を待ってくれていた。二人が住んでいるのはバンコクから2時間ほど車を走らせたところにある小さい村。前来た時は野良犬がたくさんいたけどもうあんまりいなかった。とても親切だったお父さんは1年前にガンで急逝してしまった。おじいちゃんおばあちゃんはまだ元気で私のことを覚えてくれていたけど、ペワー曰く最近ボケてきたらしい。

夜は彼女の親戚が来て一緒にレストランに行った。ぺワーの家族は私をもてなそうとしてトムヤムクン、カオソーイ、パッタイ、カオニャオマムアンなど色んなタイ料理を食べさせてくれた。甘み、辛味、酸味がどれも強いのにお互いを引き立てていて全部すごく美味しかった。

ご飯を食べた後大人たちは先に帰って、私はペワーとそのいとこで近くのお祭りに行き、知らない果物のでかすぎるジュースをシェアして飲んだりロティサイマイというタイのクレープを食べたりした。その後2人が地元のバーに連れて行ってくれて、タイのビールを飲んだ。日本のビールよりも飲み口がすっきりしてて飲みやすかった。タイのバーではギターやバンドの生演奏がよく行われるらしく、この日もステージでギターの弾き語りをしているお兄さんがいた。日常の光景なのか、誰も注目していなかったけどお兄さんはoasisのWhateverをとても上手に歌っていた。

次の日は月曜日だったけどぺワーが有休をとってくれて、彼女の運転で大きな寺院やお気に入りのカフェ、ゾウのいる公園など色々な場所に連れて行ってくれた。10年前と比べて私たちは英語がだいぶできるようになっていて、車の中でたくさんのことを話した。昔はSUPER JUNIORが好きだったけど今はセブチが好きだとか、彼氏がどうだとか、仕事が大変とか、話は尽きなかった。ふと「そういえば昔は国連に入りたいって言ってたよね」と言われて、嘘だ!と笑ったけど、よくよく考えたら、そんなことを豪語していた気がしてきた。中学生の私は自分が世界を変えるのだと本気で思っていた。何を成し遂げたわけでもないのに理想だけは高くて、自分ならなんでもできるって思ってた。それがちっちゃな挫折を繰り返して、出来ないことがたくさんあることに気づいて、いつの間にかそんな野望も忘れてしまっていた。今の私には何ができるんだろうか。世界をよりよくするような仕事ができるんだろうか…そんなことを考えてる間に最後の目的地であるマッサージ屋さんに到着して、2時間1000円(!)のオイルマッサージを体験した。人生初のマッサージは痛さと気持ちよさが2:8という感じでまさに天国だった。こんなに人を気持ちよくできるなら、私はマッサージ屋さんになるべきかもしれない…。

気がついたらもう外は夕暮れで、帰る時間になっていた。ぺワーは終始優しくて朗らかで、10年ぶりとは思えないほど一緒にいて居心地が良かった。私は他人と接する時はなるべく「感じの良い人」であるよう努めるけど、それは自己保身のためであってリアルの私ではないから、結局長く持たなくて人間関係がおかしくなる。でも彼女の優しさは損得勘定ではない自然なもので、それはぺワーの家族や友達を見ていたらわかる。皆お互いに気を使わないけど周りの人間関係をちゃんと大事にしていて、私もこんな風に生きられたらな〜と思った。ありきたりだけど、私の悩んでいることって何なんだろうというか。目の前の自分の仕事を丁寧にやって、好きな人たちを大事にしていればそれでいいんじゃないかと思った。彼女の家族と一緒にいるとそれは私が思うよりずっとシンプルで簡単なことのように思えた。

空港に向かう車の後部座席で彼女と話していたら、たった2日間、長い時間を共有したわけではないのになんだか涙ぐんでしまって、窓の景色を見るふりをして誤魔化した。空港で別れるのが本当にさみしくて、一泊だけにしてよかったと思った。

関空行の飛行機はAir AsiaというLCCだった。カウンターの近くにいた人にもう搭乗できるか尋ねたらその人がめちゃくちゃ陽気なインド人で、しかもチケットを確認したら席が偶然隣だったので、良く言えばしばらく退屈しなかった。スマホの充電がなくなりそうでUSBポートを探していると「俺はデカいモバイルバッテリーを持ってるから安心しろ」と言い始め、離陸寸前に立ち上がって荷物を取り出そうとしたので全CAさんにSit down!!!!と怒鳴られていた。当たり前すぎる。

窓の外を見るとバンコクの夜景はもうかなり遠くなっていて、朧げながら星がたくさん見えた。それは夢みたいな景色で、いつか好きな人が教えてくれた外国のバンドのMVを思い出した。飛行機は私を乗せて、さっきまで居た場所からずっと高いところをすごい速さで進んでいる。大きい夢を見てた14歳の私も、卑屈になっていた私も、今飛行機に乗っている私も長い同一線上にいて、正しいも間違いも別にないのかもしれない、うまく説明できないけどそんな感じのことを突然思った。

自分の思考に自信が持てない

私の長年の悩みである。例えば誰かの言動にモヤモヤした時、そのモヤモヤが果たして正当なモヤモヤなのか分からない。下手な愛想笑いを浮かべながら、わざわざ言い返すまでもないかな、自分がコンプレックスを拗らせて過剰に反応しているだけかもしれないな、と逡巡している間に時間が過ぎて結局何も言えず、帰り道に「!!!」と叫びながら自転車のペダルを強めに漕ぐことしかできない。フランスでの日々が幸せだったのは留学生という身分で人との関わりが少ない分自分らしくいられたからだった。でもこのままじゃダメだって思う。どうしたって自分1人だけで生きていくわけにはいかないから、自分の思想に確信を持って他人と本当の言葉で関わらないとだめだ。でもどうしたらいいんだろう。どうやったら私の思考が正しいって言える?そもそもこんな問い自体間違ってる?久しぶりにお酒をたくさん飲んだら難しいことばかり考えてしまった。

離れるということ

留学が終わって京都に帰ってきた。しばらくブログを放置していたので、少しずつこの半年間を振り返ってみようと思う。

パリ郊外の静かな町に住んでいた。秋を過ぎると毎日雨か曇りだったから晴れの日は嬉しくて、家から少し遠いところにある大きいスーパーによく歩いて行った。パリの綺麗な街並みとは違って無機質な町だったけど、高い建物が少なくて電線も山もないから視界が広くて心地よかった。

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フランスに来てから気持ちが不思議なくらい安定していて、そのわけをずっと考えてた(これもそのうちブログで書こうと思う)。

でもきっと、21年間過ごしてきた京都から離れたのが自分の中で意味のあることだったんだろうと思う。

人にはそれぞれ生きやすい環境や条件があって、がんばれる時はがんばれるし、できない時はできない。別にがんばれなくても、誰かの思い通りにならなくても、私の価値は特に変わらない。でも何かにかけた時間や労力はちゃんとずっと自分のものになるんだ。一人になってようやく気づいた!!

小学生の頃、親に虐待されてる子にいじめられてた。(虐待というべきか分からないけどお母さんがヒステリックで、感情が昂ると包丁を持って追いかけられると言ってた。)高校生になって軽音楽部に入ったらその子もいて、一緒にバンドを組むことになった。彼女は私を奴隷と呼んでいたことはもう忘れてた。彼女はとても美人で、体が弱かった。当時付き合っていた彼氏から「〇〇さんの家庭、大変らしいで。かわいそうやなあ」と言われ、私は彼女にされたことを洗いざらい話したくなったが、性格が悪いので言わなかった。大学1年生の夏、私は音信不通になった彼氏がその子と淡路島に行っていたことを友達からの話で知った。私はそんなことにも気づかず、水族館や動物園に着いてきてくれるわけがないと思ったのでラブホテルに誘ってみたり、誕生日サプライズにマイクラ(昔よく一緒にやっていた)で地下帝国を作ったりと意味不明なもがき方をしていた。ちなみに、全くデートしてくれなかったくせにラブホテルの誘いには秒で食いついてきて悲しかった。地下帝国は普通に引かれた。

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彼氏とその子のインスタを見返してみると、投稿日時は違うものの確かに同じ風景の同じ海だった。その子は別に彼氏のことなど好きでも何でもなく、浮気されたわけでもないが、私は自分がすごくみじめに思えて、別れることにした。何だか、私の人生のはずなのにその子が主人公で、私は脇役にもなれないモブであるような気がした。

でも、きっと彼女には彼女なりの背景があって、私をいじめたことなど綺麗に忘れているみたいに、私も色々な人を蔑ろにしてきたんだろうな。そんなことをぐるぐる考えた日だった。

だんだん君と同じ言葉が使えるね

フランス語が少しずつ分かっていくのが嬉しい。母語もバックグラウンドも全然違う人と通じ合えたとき、めっちゃ嬉しい。現在形の活用もままならないまま見切り発車で来てしまって、別に超ペラペラになったわけではないけど毎日ちょっとずつわかることが増えていて楽しいし、もっと頑張れると思う。こんなこと(何かを能動的に頑張れていること)今まで一度もなかったから、とにかく嬉しい。生活の片隅にはいつも将来への漠然とした焦りがあるけど、なんとかなるんじゃないか?って言い聞かせている。人よりも苦手なことが多いって自覚してるから、回り道してでも自分が輝ける場所を絶対に見つけたいと思う。

 

youtu.be

 

セートひとり旅

9/4〜5

どこか遠く、南の方に行きたいなーと思いながら電車の予約サイトを見てたら、モンペリエ行きのチケットが18€で売られていた。日本円で3000円弱。モンペリエがどんな町なのかよく知らないまま片道の切符を買った。

貯金を切り崩して旅をするので宿はいつもホステルになる。でも安いホステルはだいたい大きな駅から離れた場所にあって、今回も一泊30€、モンペリエから電車で30分のセート Sèteという小さな港町に泊まることになった。

今回の旅行は全体的にちょっと変な旅だった。まず、購入したチケットを確認したら出発駅が聞いたことのない名前だった。調べると、パリ郊外にあるディズニーランドの最寄駅。どうやらチケットが安かったのはこれが理由らしい。まあ、定期の範囲内だし(パリで定期券を買うとヴェルサイユ宮殿まで行ける)大丈夫かとタカをくくっていたらこれが間違いだった。その駅に行くまでの電車が遅れ、搭乗時間にあと1分のところで間に合わなかった。ヨーロッパの電車を舐めてた私が悪いので、悔しかったけど次の電車のチケットを買うことにした。当日なので60€くらい。電車で食べるはずだったサンドイッチを食べたりディズニーランドの入り口だけ見に行ったりして時間をつぶし、気を取り直して次の電車に乗った。がしかし、出発して1時間もしないうちに不穏なアナウンスが流れた。「機材のトラブルにより、この電車はしばらく停車します。」なんと運悪くモンペリエに行く路線のすべての電気系統に問題が起きたらしく(そんなことある?)朝8時に家を出たのに目的地に着いたのは夜8時だった。のんきな性格なのでまあ良いか…と思いつつも何かを取り戻したくて、地元の海鮮が食べられるレストランに行き、テラス席に座ってムール貝を1ダース頼んだ。が、これがめっちゃしょっぱかった。南仏の小さな港町、周りはいい感じの熟年カップルばかり。感情を無にしてしょっぱいムール貝をなんとか食べ終わった頃にはもう夜も遅く、人通りもほとんどない。仕方がないのでホステルに戻ろうとした時、地元の人っぽいおっちゃんになんで1人でいるの?と声をかけられた。パリだったら絶対に無視するところだけど、旅先だし、と思って少し会話をした。どうやら出身はロシアだけどセートに住んで2.30年経つらしい。どこに行ったんだ?と聞かれ今日の顛末を話すと、「それはもったいない。今からセートを案内してあげるよ」と言われた。今思えば夜中に知らない男に着いていくなんて危険でしかないけど、その時の私はなんて親切なんだ‼️と思い、ついていってしまった。おっちゃんはまずスーパーに入った。ビールは飲める?と聞かれてOuiというと、おっちゃんは店で店で一番でかい瓶ビールを2本買った。そこで初めて顔をちゃんと見たんだけど、目がめっちゃ充血していた。この人何かがおかしいんじゃないか?なんとなくそんな気がした。少し近所を散歩するくらいのつもりでいたが、連れて行かれたのは車だった。この話を女友達にしたらなんで逃げなかったのかと叱られたけど、その時の私としては暗闇で逃げて追いかけられる方が怖かった。殺されたらどうしようと思いながら頭文字Dさながらの運転で町を案内してもらった。おっちゃんは少し前に離婚したがまだ小さい子どもがいるらしく、家族写真を見せてくれた。フランス語がなかなか通じず、結局ロシア語と日本語をGoogle翻訳にかけて話したが、ずっと会話が噛み合わなくてもどかしかった。最終的にコカインに興味はあるか、と聞かれて何となくそれまでの挙動の辻褄が合ったので、もう帰るねと言ってホステルに帰った。きっとおっちゃんはセックスする相手を探していて、かつ薬物中毒っぽかったけど、きっと悪い人ではなくて彼なりのブルースがあるんだろうな。でも、普通に最初から断ればよかったな。とかなんとか複雑な気持ちになりながら、疲労と共に眠りについた。


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次の日は気持ちよく目覚めた。朝ごはんもおいしかったし、洗面所で隣になったドイツ人の女の子と仲良くなれてうれしい朝だった。「京都という地名は知らないけど川上未映子の小説は好き」と話していてとても驚いた。日本のことをそこまで知らない人が読んでも伝わるくらい普遍的な良さがあるんだな〜と感動。

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そのあと、昨日行けなかったビーチに歩いて行った。セートにはあまり若者はいなくておじいちゃんおばあちゃんばかりだったけど、なにもない海でゆっくり泳いだり、デッキチェアでぼんやりしたり、ひたすら海沿いを歩いたり、いい時間が過ごせたと思う。ディズニーランドよりもひらパーの方がなんだか落ち着く私には、ニースやモナコよりもセートの方が合っているのかもしれない。いや、やっぱり今度はニースに行きたい。


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ブルターニュひとり旅

8/13〜14

海から遠いところで生まれ育ったので、海の見える街には憧れがある。千葉出身の人にそう言うと「海のすぐ近くに住むと洗濯物がパリパリになるよ」と言われたから、ときどき逃避しに行く位がちょうど良いのかもしれない。そんな訳で、連休を使ってフランス北部のブルターニュ地方に行ってきた。本当はニースやマルセイユなど南の方に行こうかと思ったけど、8月はバカンスの超ハイシーズンで電車のチケットもとても高かったので、パリから数時間のサンマロという小さな港町に行くことにした。

午前11時、モンパルナス駅でサンドイッチを買ってTERという快速列車に乗る。パリを出て少しすると建物が見えなくなって、田園風景がただひたすらに続く。ほんとうに何もない平野が果てしなく広がっていて、たまに牛とか羊が数頭の群れで草をもそもそ食べている。人の気配が感じられない広い空間はちょっと不思議だった。

15時ごろ、ホステルにチェックインするためにDol-de-Bretagneという駅で降りる。知らない田舎町。ブルターニュに行こうと決めてからサンマロ周辺のホテルを調べたらどこも高くて、日帰り旅行にしようかとも思ったが、少し離れたこの駅に「EDD HOSTEL」という一泊35ユーロの宿があった。ホステルには日本でも何回か泊まったことがあって、どこも狭かったり暗かったり良い思い出がないので正直あまり期待していなかったけれど、このEDD HOSTELはすごくいいところだった。

天気が良くて暖かかったのでセーターから半袖のシャツに着替えた。テラスのハンモックでゆっくりした後、電車に乗って目的のサンマロに向かう。サンマロは城壁に囲まれた古い町で、かつてはフランス国王の公認で海賊のような人たちが活躍していたらしい。城壁の上に座って海をぼんやり眺めて、旧市街を歩いた。日本のごちゃっとした感じも好きだけど、ヨーロッパの石造りの町並みはパッと見た時に調和が取れていてすごくきれい。小さな町なので、2時間で十分見て回れた。

塩バターキャラメルジェラート
甘くてほんのりしょっぱくて美味しかった



孤独の鳥



 

20時くらいにサンマロを出て宿に戻った。ホステルの部屋に入るとちょうど同部屋の男子2人と女子2人がどこから来たの?とか話してて、一瞬あたしも会話に入ろうかと思ったけどボンジュールと挨拶してから何も言葉が出てこなくて気まずかった。近くのレストランに行こうと思って少し歩いたけど思ったより遠かったので諦めてホステルに引き返し、フロントでレトルト食品を買った。1階の共用テラスではさっきの男女グループが持ち寄りパーティーをしていて、いたたまれなく隅のほうで1人ごはんを食べていたら、スタッフの方が「ボードゲームしませんか?」と話しかけてくれた。私の他にも台湾人のお姉さんとフランス人と韓国人のカップルが来て、4人でスタッフさんがおすすめしてくれたBlokusというボードゲームをして遊んだ。シンプルな陣取りゲームなんだけど楽しかった。そっか、初対面の人と仲良くなるにはこういうシンプルなボードゲームが役に立つのか〜と勉強になった。4回戦目が終わって別のゲームをしようということになって、ゲームオブスローンズのモノポリーをした。ゲームオブスローンズもモノポリーも全然知らなくて一つ一つルールを教えてもらいながら遊んだ。さっきのスタッフさんは「このゲームは資本主義的だから好きじゃない」と言っていて、それがフランスぽくて面白かった。

資本主義を学んだ



気がついたら1時前で、眠くなったので部屋に戻った。軽くベッドの上を片付けながらメイク道具を全て忘れてきたことに気づいたが、どうしようもないので寝た。

2日目、フロントに併設されているカフェに行くと昨晩一緒にゲームをした3人がいて、一緒に朝ごはんのクレープを食べた。そしてなんとカップルが車に乗せてくれることになり、カンカルという牡蠣の養殖で有名な町に行った。彼氏はフランス人で薬剤師、彼女は韓国人の脳神経学者というかっこいいカップルで、ハイキングをしながら2人の馴れ初めや喧嘩の内容など色んなことを話してくれた。彼氏の方は最近「草食系男子」についての本を読んだらしく、最近の日本人は恋愛したがらないというのは本当なのか、という質問から始まり、日本のホストクラブやアイドル文化、パパ活などについて色々聞かれて話したが、説明しながらつくづく変な国だなと思った。どちらが良いかは置いておいて、日本とフランスでは人間関係や仕事との向き合い方がかなり違うように思う。最近は全く大学の勉強をしていないので偉そうなことは言えないけど、他人とどのように関係を築くべきなのかということに興味があるので、卒論もそんな感じにできたらなーとか考えた。

それから市場で牡蠣を1人1ダースずつ食べて、シードルを飲んで、サンマロまで送ってもらった。帰りはバス。夜でもまだ明るい空を見ながらぼんやりしていたらいつの間にかパリに着いた。良い旅だったと思う。