思春期に言われる「才能ある」は効く

朝早く目が覚めたので、翻訳の仕事を終わらせた。翻訳の仕事と言っても入試問題の下訳だけど、苦手なことがかなり多い私にとって、翻訳は数少ない好きな作業の1つ。私の母親は、私の才能を信じてピアノや空手や水泳や書道やその他いろいろな習い事をさせてくれたけど残念ながらどれにも適性はなく、中学で入ったテニス部の顧問には「お前は何にもできないじゃないか」と呆れられ、他の部員が筋トレやフォームについてのアドバイスをもらう中、私だけ「お前は脊髄からダメ」と言われた。そんな私が、初めて他人に(お世辞でも)「才能がある」と言ってもらえたのが翻訳だった。

高校時代、某予備校の某講師がやっている英語塾に通っていた。自分から親にお願いして通い始めた塾だったけど、その先生はすごく怖いことで有名で、毎週どんよりした気持ちでJRに揺られていたのを覚えている。

ある日、授業で"child of chance"というフレーズが出てきて、いきなり「お前ここなんて訳す?」と聞かれた。いつもは当てられても吃ることしかできなかったけど、その時だけなぜか閃いて、咄嗟に「偶然の産物です」と答えられた。それで、授業終わりに先生と友達に褒められたっていう、本当にそれだけ。別になにかすごい翻訳をした実績もないし、そんなことを未だに覚えているのは私だけだろうけど、なんでかとても嬉しかった。私の母親は私に何か文化的な才能があると無根拠に信じて疑わなかったから、私の文章なんか読んだこともないのによく「あなたには才能がある!詩人になりなさい」と言ってきて、その度にいたたまれない気持ちになっていた。でもその日だけは何故か自分でも才能あるんちゃうか!?とドキドキしたのだった。今思えば本当に些細なことだけど。

入試の時期になると毎年、その先生から翻訳バイトの依頼が来る。適当な訳を出したときには2スクロール分の説教メールが来るから、いつも提出するのが怖い。でも、私という人間に対して仕事の依頼が来ることなど他にないので、連絡がある度やはり嬉しくなる。正直なところ、私が翻訳するよりもDeepLにかけてそれを修正するという形の方がずっと簡単だし、よりスムーズな文章が出来上がるような気もするけど、違いの分かる人はいると信じて丁寧に訳をつくる。